中南米専門旅行会社:株式会社ラティーノ

株式会社ラティーノ 代表取締役
一般社団法人日本ボリビア協会 理事
田中 純一

 1.設立の経緯

弊社は今年で創業31年を迎える中南米専門の旅行会社ですが、設立に関しては私の中南米との関わりからお話する事になります。
今から40年前の1983年に私は新卒としてペルーに本社を置く日系の旅行会社である株式会社金城旅行社の日本支社に入社致しました。それ以前は南米とは何の関りも思い入れもなく単に旅行会社志望であった私は当時右肩上がりであった海外旅行を取り扱う旅行会社に多く見られた〇〇ツアーやら、トラベル〇〇などのカタカナ社名が溢れて来た時代に「金城旅行社」というどうにも時代に乗り遅れている感のする社名に何故か興味を持ち入社致しました。
そこで初めて「金城」はキンジョウと読み沖縄から移民した伝説的創業者である故金城新哲社長の名前からとったものである事そして日本から南米への移民の歴史などを学んでいきました。
今でも忘れられない場面があります。
入社1年後初めて南米ペルーを訪問した時の事です。リマのセントロと呼ばれる旧市街の広場で、日本の駅弁売りのようなスタイルで木箱にたばこを一杯に詰めその1本売りをしていた少年を目撃しました。タバコの1本売りにも驚きましたが平日にも関わらず、昼間に働いている少年、また別の場面では車の行きかう道路で信号待ちの車に両手いっぱいのお菓子を持ち少し薄汚れた民族衣装を来た物売りの少女や車の窓拭きをさせてくれとせがむ少年など、いずれも小学生位の姿に今のようなインターネットもなく外国の実情も良くわからず、平和ボケして育ってきた私には少なからずショッキングな場面でした。
その頃から中南米への様々な思いが絡み合い今の仕事に続いているのだと思います。そこで9年程働いた頃、ペルーではテロ組織センデロ・ルミノソによる日本人専門家殺害という不幸な事件の影響を受け日本からの観光客は皆無という状態が続いており、我々の仕事も開店休業状態でした。この時志を同じくした二名と一念発起して自らの会社ラティーノを立ち上げました。1992年私が29歳の時でした。

写真1-1 金城旅行社勤務の頃

そのような経緯であったため当初より業務は自分達のやってきた得意とするペルー、ボリビアを中心とした南米地域専門として営業を開始しましたが、新しく立ち上げた会社においては、現地とのしがらみが少ない分、特定の国だけに依存する事なく、広くメキシコ以南の中南米をくまなく網羅する旅行会社になりたいと思い、一か国ずつ現地の旅行会社との提携を進めていき、現在のようなメキシコ以南、中米、カリブ海諸国を含めた南米から南極までを総合的に手配できる体制を整えていきました。

写真1-2 マチュピチュ遺跡

2.現在の業務内容

弊社の業務内容としては、現在大きく3つに大別されます。

① ツアーオペレーター業務

日本の旅行会社とりわけ海外旅行を取り扱っている旅行会社は、実は自社で海外のホテルや車両、ガイドを手配している会社は殆どなく、有名な大手旅行会社といえども自社で手配しているのは海外支店のあるハワイやアメリカのロサンゼルスやニューヨーク、あるいはヨーロッパでもロンドンやパリなどのごく限られた地域限定でありそれ以外の地域に関しては弊社の様な地域に特化した専門旅行会社に委託しているケースがほとんどです。
こうした他旅行会社から委託を受け、その国のホテル、車両、ガイド、レストランに至るまでの現地手配一切を行う業務をツアーオペレーター業と言い、弊社は中南米地域のツアーオペレーターとして北海道から沖縄までの日本全国の旅行会社から委託され、地上手配業務を行っております。
依頼元は、JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、HISなどの大手旅行会社から、その地域毎の地場の旅行会社から中小の旅行会社に至るまで多岐に渡ります。具体的な内容も単純な観光ツアーだけでなく、例えば企業の業務視察、各都道府県単位の現地県人会式典参加等の行政関連の現地訪問団手配、各種国際会議出席の為の各手配や、最近多く見受けられるのは各スポーツ団体の世界大会参加に付随する手配などありとあらゆる業態のものになります。

写真1-3 業界向けキューバセミナー

② 直接のお客様手配

二番目は弊社のような零細企業でも信用して頂き、直接ご依頼頂く個人、企業の方々の業務です。この場合はもちろんご依頼頂ければ、日本発着の国際線の航空券の手配から弊社にて行います。この場合も、あえて大手旅行会社にではなく弊社のような専門店にご依頼頂くお客様達ですので、非常に強い思い入れや一般的ではない地域への訪問依頼などまさしく唯一無二のご旅行のご依頼となる場合が多いので、こちらも身の引き締まる思いでご手配させて頂いております。

写真1-4 ポトシの街と人

例えばこのような事例がありました。
その方はご結婚記念のハネムーンでのご依頼だったのですが、ご主人が相当の列車?地下鉄マニアの方でいらっしゃり、都内を走っていた丸の内線(ご存じの方も多いと思いますが、赤に銀の模様が入った長く親しまれてきた車両です。)に子供の頃、何かの記念乗車をされその車両が引退後アルゼンチンのブエノス・アイレスで現役として走っているという情報を掴み、なんとかその車両に乗りたいというご希望でした。ただし現役と言っても、やはり年式が古いためブエノス・アイレスでも運行はごく限られた範囲でのものだったようで、現地代理店を通じその車両の運行スケジュール(区間や日時)を調べ、お客様訪問時に乗車できるように手配させて頂きました。帰国後大感激されたお客様が撮った300枚は優に超える旧丸の内線の画像を拝見いたしました。(苦笑)

写真1-5 旧丸の内線車両

また、ある時は南米への長期単独ご旅行中に不幸にして現地でお亡くなりになられてしまったご子息の足跡をご家族で訪ねるご旅行や、お父様の仕事の関係で子供の頃に数年過ごした街の思い出を頼りに、ご自身が定年後再訪する旅など皆さまそれぞれご旅行一つ一つに旅の物語があり、そのお手伝いをさせて頂ける喜びを感じています

③ インバウンド業務

これが一番最近始めた業務ですが2014年のブラジル・ワールドカップ、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックを通じ、多少会社に余裕が出来た事によりこのタイミングで新規事業を、と思い、当時国ぐるみで取り組みを始めていたインバウンドに弊社もあやかろうとの下心?から始めた業務です。
この時も一般的には中国を筆頭としたアジアからの訪日客が連日取沙汰されておりましたが、弊社では自分達の得意地域である中南米からの訪日客のみをターゲットとしたインバウンド業務に特化して業務を開始致しました。実はこの時始めたインバウンド業務がその後に来る大災害を切り抜けて生き残る一番のポイントになるとはこの時は思いもよりませんでした。

写真1-6 ワールドカップ手配時
写真1-7 コロナ前の旅行博出展時

3.存続の危機となったコロナ禍

会社創業時は、①のツアーオペレーター業務が会社の約8割を占め、次に②の直接のお客様の比率を高めていき、最後に、③のインバウンド業務開始と順次業務を追加してきました。日本から中南米へ、そして中南米から日本へという双方向の旅行を取り扱う事により、過去に経験してきた、一か国単位での政情不安や治安悪化などからの損害を被るリスクをヘッジすることができました。
単一地域、単一業務に頼らない体制を作る事で、小さいながらもどうにか業界内でも徹底した専門性が評価され、東京と大阪に事務所を置き、スタッフも少しずつ増え、最大18名までに業態が拡大した会社でしたが、2020年発生の新型コロナにより全てが一変してしまいました。
人の移動そのものが制限されるという考えもしなかった事態となり、観光・業務を問わず、人の移動そのものを生業としてきた我々旅行業界、とりわけ海外旅行をメインとしてきた会社にとっては正に青天の霹靂といった出来事でありました。
この時先の見通せない不安と圧倒的な絶望感にさいなまれながら、今何をなすべきかを必死に考え、まず私自身が冷静になり、事態を把握する事、そして危機管理の原則ともいえる「最悪を想定して最善を尽くす」と自分に言い聞かせました。
日々感染状況悪化の報に触れながらも今後の事態の推移を自分なりに考え出した結論は「それでも人は旅をする。」という事と、それまで何としてもこの状況をサバイブするという決意でした。ただし、同時にそれには相応の時間を要するという事も理解し、その期間を短くとも最低2年間はこの状況が続くと腹を括りました。
取り急ぎ無用となってしまった大阪、東京の事務所は解約し、完全なテレワーク体制となり、社員には1年間は雇用を継続する旨、ただ事態が好転しなければ1年後には会社縮小も想定するので、それまでの1年間を自身の身の振り方を考える時間としてほしいと伝えました。
同時にこの時期仕事も全くない状況でどうやって社員の気持ちを繋ぎとめていくかを考え何かしら取り組めるものとして一気に広まったZOOM等を利用したオンラインでのスペイン語・ポルトガル語教室、オンラインでの南米料理教室、そしていわゆるオンライン・ツアーを弊社でも手掛け、皆で手分けして休業している期間に行ってきました。

写真1-8 旧事務所最後の日
写真1-9 ラテン料理教室のチラシ
写真1-10 オンライン・ツアー

しかし、やはり当初予想していたように、1年程度では事態は好転せず、2021年の春には苦渋の決断で組織を縮小せざるを得ず、社員の数も1/3となり、また1992年の創業以来苦楽を共にしてきた共同経営者も去る事となってしまいました。

4.「それでも人は旅をする」

昨年2022年の春以降ようやく国境再開の動きが現実的となり、それに伴い業務も少しずつですが問い合わせも増えてきました。
そして昨年10月の国境再開以降は日本人の海外渡航よりも、海外からの訪日が一気に回復基調に戻り、弊社でもインバウンド業務が急回復となってきました。
一応この流れもある程度予想していたので社員も少なくなりながらインバウンド業務を担当する社員だけは全スタッフ残るよう説得しておりましたので昨年10月以降は、それまでの月数日出社の休業体制から100%出社体制に切り替え、なんとか危機を脱したという所まで来たと思っています。
今年2023年に入ってからは折からのエネルギー危機や円安により、日本からの海外旅行はまだ4割程度の回復ですが、代わりにインバウンドは好調でこの業務は既に2019年を超える状況となっています。
当初はインバウンドと言っても中南米からなんて本当に訪日するのだろうか?と自分達自身でも懐疑的だった部分でしたが、今やメキシコ、アルゼンチン、ペルー、ブラジル、チリなどを中心としてカリブのプエルトリコや米国のスペイン語系の人々が多く住むロサンゼルスやマイアミなどからも弊社の扱うスペイン語、ポルトガル語のお客様が途切れる事なく来日されております。
一時期6名にまで減少したスタッフでしたがその後の回復途中から採用を再開し5名程新たに加わり現状11名となり今後ももう少し増やしていく予定です。
そして今年10月には3年半ぶりとなる新事務所を東新宿に構え、心機一転,営業しております。
来年には日本人の海外渡航も、もう少し回復が進むと思われますので、ここまで来てようやく大きな、大きなコロナ禍という山を一山超えたかな?とまだまだ油断は出来ませんが、一息ついている次第です。
これもひとえにコロナ禍の厳しい状況の時にもお声かけ頂き、応援して頂いた日本ボリビア協会をはじめとした皆様のご厚意の賜物です。この場を借りてあらためて心より御礼申し上げます。
今後は従来にもまして自社の専門性を高め、このコロナ禍で旅行業界からの大量の人材流出も叫ばれている中、日本の皆さまが安心して中南米をご旅行する際の案内役となれるよう、また中南米からの訪日のお客様にとっては我々の住むこの美しい日本を快適にご旅行頂けるようスタッフ一同精進してまいる所存です。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
(終わり)

写真1-11 新事務所にて集合写真
写真1-12 オルロのカーニバル、ディアブラーダ


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当社のホームページは以下の通りです。
日本人向けhttps://www.t-latino.com
訪日用 https://www.turismojapon.jp

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