日本ボリビア協会の概要

日本ボリビア協会の活動の歴史は古く、昭和29年(1954)年まで遡(さかのぼ)ります。昭和42年(1967年)1月には外務省認可の公益法人(社団法人)として発足しました。2014年4月1日より、一般社団法人に移行しました。

現在、会員数は個人及び維持(法人)会員を合わせ百名弱の小規模であり、全役員及び事務局いずれもボランタリ-ベースですが、日本とボリビアの友好、相互理解を進めるとの目的の下、様々な活動を行っています。最近の例としては、ボリビアの観光(ウユニ塩湖)、鉱山(リチウム)・農業資源(キヌア)をテーマとした講演会の開催、ボリビアの民族舞踊・フォルクローレの公演やボリビア産品展示会の開催あるいは後援があります。

また、在日ボリビア人(日系人を含む)社会や在ボリビア日系社会との関係も大切と考えており、夫々との交流・協力関係を推進しています。その関連で特筆されるのは、日本人のボリビア移住百周年(1999年)の機会に、日本政府・JICA(独立行政法人国際協力機構)の支援により、日本人のボリビア移住の歴史を総合的に取りまとめた“ボリビアに生きる”(和文)が編集・出版されましたが、2012年後半から2013年後半まで約1年をかけて、当協会がボリビア日系協会連合会との共同プロジェクトとして、そのスペイン語版を作成、出版したことです。

ボリビアは、南米ではペルーと並び日本人が(1899年)最初に移住した国です。戦後も日本から多くの人が南米諸国に移住しました。幾つかの国は日本と移住協定を結び日本人を受け入れましたが、1956年、日本と最初の移住協定を締結したのがボリビアです(パラグアイは1959年、ブラジル、アルゼンチンは1963年に締結)。

このように日本人のボリビア移住は長い歴史を持ち、特に戦後、集団移住した人達は、東部低地帯のサンタクルス県に入植し、原生林を開拓して先進的な農村社会を築きあげました。今日、この地域は、米、大豆、小麦、鶏卵等の重要生産地としてボリビア経済に大きな貢献をしています。他方、いずれの日系社会においても世代交代が進むに従い、日本語を読めない人が増えています。今回の翻訳・出版は、ボリビアでの日本人移住者・日系人の貢献について、ボリビア国民の理解を更に深めるとともに、日系社会の若い世代の人達が自分の歴史を知るためにも役立つものと期待しています。

ボリビアは南米で最も貧しい国の一つですが、近年、豊かな天然ガスや鉱物資源の国際市況の高騰で、国民の所得水準は向上しています。因みにボリビアは、今後、自動車や電機産業を中心に需要が増大すると見込まれるリチウムの埋蔵量で世界の半分以上を有していると言われ、国際的に注目されています。なお、最近わが国でも観光先として急速に人気の高まっているウユニ塩湖はこのリチウム資源の宝庫でもあります。

寒冷なアンデス高地からアマゾン河源流の熱帯気候の低地帯を含む変化に富む国土は日本の約3倍の大きさで、そこに1千万人余りの人達が住んでいます。国民のうち先住民族の占める割合が米州大陸の中で最も高い国の一つで民族構成も多様であり、これら要素が重なり合って文化、習慣、風俗等におけるボリビアの独自性、強い個性を生み出しています。

日本は長年にわたりボリビアに対し積極的に経済・技術協力を行ってきており、また日本人移住者の貢献もあり、ボリビアは伝統的に親日国です。

日本ボリビア協会は、伝統的な文化を持ち、また日系社会が深く根を降ろして活躍している親日国ボリビアとの友好関係を維持・発展させるため、種々の活動を今後とも積極的に続けていきたいと考えております。そのためにも一緒に活動してくださる仲間を増やしたいと願っています。小さな団体ですが、それだけに手作りで色々なアイディアを実現し易いメリットもあります。個人・団体、老若男女を問わず、ボリビアに関心、興味を持たれている方は、是非私達の活動に参加して下さるよう期待しています。

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